エンジニアからプロダクトマネジャーになった変遷をたどる。ラクスル執行役員 水島壮太のキャリアパス


現在ラクスルで執行役員 (印刷事業本部 プロダクト開発部 部長)を務める水島さん。高校時代に野球部で甲子園を目指した後、エンジニアとして文系と理系の間で揺れながら、日本IBM、DeNAなどを経てラクスルに入社。

現在は、印刷・広告のシェアリングプラットフォーム「ラクスル」のプロダクトマネージャーを努めています。そんな水島さんのキャリアを辿りながら、考え方や人となりを探っていきます。  

プロフィール|水島 壮太 氏

学生時代はベンチャー企業の契約社員として、フィーチャーフォン上で動くJavaアプリの開発に没頭。新卒で日本IBMに入社し、Javaアーキテクトとして金融系システム開発などでキャリアを積んだ後、DeNAに転職。
DeNAでは、Mobageオープンプラットフォームのサードパーティ向けグローバル技術コンサルティング部門の立ち上げを行い、サードパーティらに必要なものを自らの意思決定で作りたいという思いから、開発部門へ。
Mobageに限らず社内外すべてのサービスで共通に利用されるマイクロサービスを開発、展開。 2015年4月より、株式会社ペロリに出向し、MERYのアプリの立ち上げおよびメディアからサービスへ飛躍するための開発をリード。
2017年10月より、印刷・広告・物流のシェアリングプラットフォームを運営するラクスル株式会社で執行役員兼印刷事業のプロダクトオーナーとして開発の指揮をしている。

文系・理系の間で揺れ動いた学生時代

ー水島さんがそもそもエンジニアを目指すきっかけになったのは?

その原点は高校時代にあります。僕は小学校から野球をやってきていて、高校は本格的に甲子園を目指す高校でしたが、そこでレギュラー争いに負けたという挫折がありました。

そこから、大学に進学するにあたって高校3年生のカリキュラムを理系にするか文系にするかを迷いました。これは人生の大きな分岐点でした。 野球部は文系の人がほとんどだったのですが、自分よりもノリがよく人気者で、プレゼンっぽいのが上手くて、世の中を上手く渡っていけそうな人たちばかりでした。

このまま文系に進むと、自分は全然活躍できないというか、普通になっちゃうなっていう危機感がありました。なので、野球部で理系っていうのはかなり珍しいのですが、思い切って理系を選択し、文理融合で技術に重きをおいた慶応SFCの学部に進みました。     ーどんな学生生活を送っていたのですか?

実務に近いグループワークをよくする学部だったこともあって、大学3年生の時にベンチャー企業のインターンでエンジニアとして働くようになったんです。そこで自分のプログラミング技術のなさを嘆いたりしながら、当時iモード全盛だったのでフィーチャーフォンのアプリをガムシャラに開発してました。学生ベンチャーのような取り組みをしていることが楽しかったので、それを継続したくて大学院に進みました。

ただ、徐々に本社のプロのエンジニアの人とやり取りするなかで、エンジニアとしての自信を無くしてしまって。今で言うメガベンチャーのバリバリの技術系エンジニアと駆け出しの文系っぽい学生がやり取りしてるわけなので、できないのは当然なんですけど。 そこで1回キャリアを見つめ直そうと、理系やIT系を避けて商社とか、マスコミとか、外資金融とか、とりあえず人気順に就職活動をしてみたんです。

でも結局面接とか採用のプロセスで、非IT企業が自分に合わないことを体感しました。「なんでそこまでやったのにウチなの?」って聞かれても答えられず。つまり文系という選択肢も広く検討したけど、やっぱり自分は理系が性に合うのだと思い直しました。ブレブレの就活です。

マスコミの人と話していても自分はワクワクしないし、外資金融もすごい世界だなとは思うけどいまいち自分が活躍するイメージが湧かない。

その中で、一番働くイメージが湧いたのが、IT系で唯一受けていたIBMだったので、そのままIBMに入社しました。もう一回、エンタープライズの領域でエンジニアとしての基礎を磨こうと決意しました。    

継続的なアウトプットが道を拓く

ーIBMではどのようなキャリアパスだったのでしょうか?

学生時代からのエンジニア経験や、意識的に技術力が高いアピールもしていたので、IBMの中でも高い技術力が求められる共通基盤やフレームワークの開発を入社当時から担当していました。

ただ数年経って「自分もフルで案件を回したい」と思い、その当時個人的に盛り上がっていたSPA(Single Page Application)での開発を実現するために、自作のJavaScriptフレームワークを持ち込んで、アーキテクトとしてシステム全体のグランドデザインを担当する機会をもらいました。皆がWeb画面はJSP(Java Server Pages)でつくるのが当たり前のときに、全部プレーンなHTML、CSS、JavaScriptで作ろうとしたんです。

普通、アーキテクトは「設計を作った後はよろしく」とバトンタッチすればよいのですが、僕はやっぱり自分の作ったアーキテクチャできちんとよいものを作ってほしいと思っていたので、実質的には、今のベンチャーでのテックリードに近い立場で仕事をしていました。 実際に同じチームのエンジニアに「このライブラリは見ておいたほうがよいよ」といったアドバイスをしたりなど、技術的な指導も担当していました。

さらに、プロジェクトの進捗が悪くなった時には、自分自身がプロジェクト・マネジャーとしての役割を果たしながら、課題を特定・解決して案件を前進させるというシーンもありました。 普通のアーキテクトはそういうことはやらないんですが。思い返してみると、そこでやっていたことは、今のプロダクトマネージャーと近しい部分はあるのかもしれません。     ー冒頭にありましたが技術力が高いアピールとはどのようなことをしていたのでしょう?

開発に対して、おもったことは率直に発言するようにしていました。例えば、開発環境が古臭いとか、目的に対してやっていることがtoo muchとか。社内の仕組みとかを結構批判していたので、生意気な新卒だったと思いますよ(笑)。ただ中身は「たしかに」と言われるような正しい指摘になっていたのだと思います。     ー発言するにも勇気が必要ですね。

そうですね。ただ、元々学生時代にベンチャーでオープンな世界を経験していたので、自然と湧いてくる色々な疑問をぶつけていただけなんです。 実際に、それが大きく間違ってない指摘であり、普段の仕事自体ではアウトプットもしていたので、上長も技術力が高いところにアサインしてくれる。その繰り返しだったように思います。     ー業務以外でのアウトプットは何かされていましたか?

もう一つIBMでやっていたこととして、社内論文制度というのがあって毎年1回論文を書いてたんですよ。そして2年連続で優秀賞とかを頂いたり、最後は論文のおそらく最年少審査員もつとめていました。 実はこの論文が転職のきっかけになるんですが、ある雑誌に論文と一緒に連絡先が掲載されていたのですが、それを見たエージェントからDeNAの紹介がきたんです。

結局継続的に自分の技術をブログなどでアウトプットしておくと、よいオポチュニティが入ってくるんだと思います。当時は狙ってやってたわけではないですけど、やっておいてよかったと今振り返っても感じますね。    

エンジニアからプロダクトマネージャーへ

ーそこからDeNAに転職されますが、声をかけられた以外の理由はあったんですか?

1つ目は丁度節目のタイミングだったことです。自分がフルで回した案件が、IBMに入社してから集大成的なプロジェクトになって、全部やりきったという満足感がありました。しかも今までになく、クライアントさんやプロジェクトの仲間も結構満足してくれていたものがつくれたという達成感があったタイミングでした。

また2つ目は、よりスピード感・裁量のある環境で挑戦したいという思いがありました。IBMはやはり外資なので、USのオーソライズを取らないといけないスピードの遅さを感じていました。これは当然なのですが、ベンチャーなどと比べると、どうしても裁量が少なかったんですよね。

3つ目はスマホシフトのタイミングだったこと。転職したのが2010年で、iPhoneのアプリやモバイル向けサービスが絶対にくると思っていつつ、IBMだとしばらくはできないなと思っていました。そこでスマホ領域で、高い技術力のある環境で、日本から海外に挑戦していけるという点に魅力を感じDeNAへの転職を決意しました。あと、年収UPも理由の一つです(笑)     ー実際に転職してからはどのようなキャリアを? DeNAの中に入ってみると技術的なレベルがとても高いんですよね。学生時代にお世話になった方も何人かDeNAで再会して、出戻り感もあり。それを見抜かれたのか分からないですけど、エンジニアとしてスキルを活かした上で、文系っぽい仕事にアサインされました。明確に、「文系っぽい仕事でごめんね。でもあなたしかできなさそう。」と言われました。

具体的には、顧客折衝ができて、技術がわかるメンバーとして、ゲーム開発会社の技術的支援をする部門の立ち上げを担当しました。いわゆるテクニカルアカウントマネージャーみたいな仕事です。 当時、Mobage上でのゲーム開発を拡大するフェーズでもあったので、この技術コンサルの部隊を組織としても拡大し、やりがいを感じながら仕事をしていました。

ただ、そのような仕事をしている間に、Mobage自体のプラットフォームのプロダクト自体に納得がいかなくなってしまって。「もっとこうしたほうがいい」と改善点を漏らしていたら 「じゃあ自分がやったらいい」ということで、今度は開発部門でプロダクトマネージャーをすることになりました。     ーそこではじめてのプロダクトマネジャーとしてのキャリアを歩むわけですね。

そうですね、最終的には20人くらいのチームを率いる立場となり、「プロダクトを1年後にはこうしていようね」というプロダクトとしてのビジョンを描いて皆に説明することから、組織づくり、メンタリングなど多くの経験をしました。

ただ、2014年の終わりに当時かかげていたMobageのアプリシフトの戦略が実質的には難しくなってしまい個人としては撤退を決断しました。

そこで一旦転職も考えたのですが、当時成長していた子会社で、開発責任者という立場からUXやデザインを含めたプロダクトの方向性を決めつつ、チームマネジメントをするという役割の機会があり、そこにジョインすることになりました。

その経験などから、文系と理系が合わさったようなプロダクトマネジャーという職種が、自分に合っているなとさらに実感するようになりました。望んでいたわけではないんですが、その頃には色んな人にPM力が高いと言われるようになったので、向いているのかなあと。そこで、この職種での経験をもっと積んでいきたいと考えて、ラクスルにジョインすることになりました。    

日本No.1のユーザー体験を作る

ーラクスルではどのような役割で、どんなことにチャレンジされているんですか?

印刷事業のプロダクトマネジャーとして、ユーザーがより「ラクスル」を利用してくれるように努力している立場になりますが、いまチャレンジしていることは、印刷のEC体験を日本でナンバー1にしようというビジョンを持っています。

ラクスルは、ECの中でもマスカスタマイゼーションECという分野に位置づけられます。既成品である商品をただ配送するのではなく、いろんなカスタムのオプションがあるものをワンストップで受けて、大量生産しつつお客様毎に異なる商品届けるというECになります。他の例だと新車の受注生産などが、マスカスタマイゼーションに近いイメージです。新車は大量生産しつついろんなオプションがありますからね。

当然これは、裏側で様々な印刷工場との連携があるので、非常に複雑な設計が求められます。海外ではこれが結構進んでいるんので、まずは日本国内でもっとも優れた体験を実現したいと思っています。     ー水島さんの今後のキャリアとしてはどんなことを目指していますか?

現場のエンジニアマネージャーとかプロダクトオーナーとして、”執行”することは一定できるようになってきたので、更に上の経営のメンバーとしてどういうバリューを出せるのかということが、今後のチャレンジですね。

一方で、本当に経営者になりたいのか?というところに関しては、迷いがないわけではありません。いま別の会社の技術顧問も担当しているのですが、自分のスペシャリティを活かして、外部からCTO的、VPoE的に複数の会社にアドバイザーとして関わっていくという選択肢もありえると考えています。

なので、今はその2つをそれぞれ楽しみながら試している、そんなフェーズだと思います。    

kiitokではWHYを繰り返して、本質を見つける

ーメンティーとの1on1メンタリングはどうでしたか?

基本的には来てくれた人が持ってきた質問事項とか悩みに答えていく流れでした。それを上から順に話していくと、だいたいの質問とか悩みというのはリンクしているので根本的な問題が見えてくるんですよね。

まずは表層的な質問とか問題から入って、根本的な問題が見えてきたらそこを深く、WHYを繰り返しながら掘り下げていきます。自分が体験したことがある悩みとかだと、気持ちもよく分かるので自分の話も一例として出して、選択肢が出せたらよいなと思います。     ー相手からここを目指すというゴールが引き出せなかった場合はどうしていますか?

社内でもそうなんですが、目標がない場合は、その人に合った目標を導き出して、定めてあげるようにしています。それは相手に期待値を伝える意味もあったりします。ただ悩み相談を聞いてあげるだけでは、もったいないと思うので。

半年ごとくらいに目標を設定して、それへの進捗を把握しながら進めていかないとどうしても続かないと思うんです。なので、どこ向くべきかという具体的なゴールを適宜設定していくことは大事だと思っています。     ーでは、最後にこれからkiitokで相談しようと考えている方に対して一言お願いします。 「技術者としてのエンジニアの道を突き進むべきか?」という不安を抱えている人にはアドバイスできることがあるかなと思います。技術に振り切って理系になりきれない人のバリューの上げ方みたいなところは、自分も抱えていたし解決できたと思っているので、お話したいですね。